今までの売却の苦労が嘘のように、マンションを売り出してから初めての土曜日、初めての方に、売り出し価格満額で即申し込みが入った。
購入時よりプラス○○○万円。
事前に妻が仕切ってくれた。
『うちは手狭で収納が少ないから、荷物をキツキツに見せたら負け。クローゼットの中のものを極力捨てて空きをつくって、生活の余裕感を見せないとダメだよ』
契約時、うちのどこが良かったんでしょうか?購入頂いた方に聞いてみた(立地?ブランド?部屋の明るさ?交通利便性?)。
新築やリフォームしたての物件の綺麗さよりも、入居後の空間の使い方や収納の仕方、清潔で生活感がある綺麗さから、私達夫婦もこんな生活をしたいなとイメージが湧きました。ぜひ、奥様に掃除や収納の仕方を教えていただきたいです。
妻と出会ったのは、十数年前の桜の季節。
初めて彼女と出会った時のことを鮮明に思い出す。営業時代だったある日、僕が席に座っていると、『どなたか営業の方に同行して回ってもらえませんか』と、取引先に勤めていた彼女が、僕の隣の上司にお願いしにきた。出てやってくれないかと上司から言われたが、すみませんと断った。日頃、僕の営業スタイルを尊重してくれている上司が、頼むよ、一緒に出てやってくれよと珍しく懇願するので、仕方なく彼女と営業に出かけた。
そこで訪問した顧客にいきなり高額の受注をいただき、2人で驚きながら帰社した。
それ以来、彼女とその顧客中心に頻繁に同行するようになった。彼女は色々なことを教えてくれた。
『何億もの受注ができるわけないって、なぜ、あなたの物差しで決めてしまうの?たとえ顧客が購入できないくらいの取引でも、見せて喜んでもらうおうくらいの遊び心が、何故あなたにはないの?』
昔は香水がキツく、会社の廊下の残り香で今日は営業に来ているなとわかったものだった。頬がほんのり赤い化粧をしていたのが、いま思い出すと微笑ましい。今ではもうずいぶん前からショートカットだが、出会ってしばらくはロングだった。ショートは似合わなくもないが、やっぱりロングのほうが女性らしく感じる。
最近、Youtubeで音楽を聞き出した。今日帰りの電車で、色々検索していて、たまたまスキマスイッチの思い出の曲を見つけて聞いた。妻と出会って付き合いだした頃に、一緒に買ったアルバムに入っていた曲だった。当時、この歌を車の中で上機嫌に歌っていると、
『この人、ずっとこんな調子なのかしら、大変!結婚したら思いやられるなあ!』
とよく笑っていた彼女。
あれから十数年。毎日毎日、家族は子供のことを中心に回っている。気が付くとあっという間に同じような日常の繰り返しになっていたりする。
「その」マンションを売却したのは、4回目のマンションを購入したからだった。
あー
もうやめよう
こんな多額の借金してまで、マンション趣味
妻にも息子にも迷惑かけて
一度は断った
やっぱり買えません
これでいいじゃないか
でも
妻から仕事中にLINE
『いいの?それで
マンション買わないの?
マンション、お金ないから諦める
仕事もほどほどに
早く辞めて
田舎暮らし
私は困るよ、それじゃあ
マンション買いなよ
借金いいじゃん
それより困るのは
あなたが人生諦めて
仕事もういいや
それじゃあ困るよ
攻めてみたら?
好きな事にお金使いなよ
マンション買って
そのかわり
仕事諦めないで
人生も諦めないで』
それから数年。
この数ヶ月、5回目のマンション買い替えに向けて夫婦で検討していたが、さすがに今回はかなりハードルが高く無理かなと諦め気味。
でも、もう充分。
いつも自分のことばかりで、なかなか良い思いをさせてあげられないのに、貯金も無いのに、仕事も上手くいってないのに
『パパの夢を叶えるために何とかしてあげたい』
と妻が言ってくれただけで充分
この人はどこまで僕という個性を認めてくれるんだろう
それだけで感無量だった。
妻という人。
営業時代、打ち上げの時の事。
先輩から「よく今の売上で飲みにきたよな」と冗談めかして言われた事に「じゃ、帰りますよ!」とブチ切れて帰ってしまった。家に帰ってその事を妻にぶちまけたら、怒鳴られた。
『はぁ!?なに勘違いしてんの!売上悪いのは自分が悪いんじゃん。そんな冗談くらいできれちゃって、人間ちいさっ!あんたのその甘ったれな態度が、どれだけ周りの人を不快にさせたか、わかってんの?今から飲み会に戻って、皆に謝って笑顔で乾杯してこいよ!!』
妻は僕の甘ったれな所が嫌いだ。
『男としての甲斐性を持ってほしいから、私が仕事を辞めてあげるよ』
そう言って、妻は仕事を辞めて専業主婦になった。
営業時代、妻には随分と売上や顧客との関係で助けられた。少なくとも僕よりは格段に営業力があり、マネジャークラスとして活躍できる腕を十分に持っていた。
仕事を辞めてから、僕の稼ぎだけでは、妻が好きなファッション関連をろくに買ってあげることもできず、たまにZARAやH&Mあたりで買ってあげると、「ありがとう!」と笑顔で喜んでくれる。でも、雑誌で好きなブランドの宝飾や時計や洋服をチェックしていることも知っている。
妻に言ったことがあった。もっと社会で活躍できる人材だから、もったいないと思うんだよね。家にいてもつまらないでしょ。そしたら自分の好きな物も買えるし。
『専業主婦になったら、自分の好きな物も買えないし、家にいてもつまらないし、とか私が思っている、って言いたいわけ?自分で専業主婦になって、あなたに支えてもらっているのに、隣の芝生が青く見えるような、私はそんな贅沢な人間じゃないから!』
専業主婦になって以来、妻は僕のメンターになった。
クレーム対応や判断業務、ラインで発信する前などは、妻に意見を聞く事にした。自分の判断より的を得る事が多いからだ。
ひとつは自分より社会で生きていくための常識、見識を持ち合わせているから。
妻は、高校時代から親元を離れて1人暮らしをしていたこともあり、昔から精神的に自立していた。
『お金がなくて水道や電気が止められた時が何度かあったけど、親を頼ったことがない』
予断や感情論を挟まないで、その時に何が大事なのかを、相手の立場に立って的確に判断できる。自分の子供が可愛いからとか、僕が自分の夫だからとか、自分が嫌いな事だから、といった感情や気持ちに左右されずに、「今何が大切なのか」を即座に考え実行できる。
子供が生まれたての頃、僕はまだ公共の場で泣かれると面倒なので、移動や食事をする時など、子供を外に出す事を億劫にしがちだったが、妻は逆だった。
妻の実家に遊びに行った帰り、両親が車で送ってくれると言っても、いつも両親の申し出を断り、赤ん坊がぐずっても必ず電車で移動した。
『確かに車で送ってもらう方が泣いても大丈夫だし楽だけど、親も子供も家族で公共の色々な場面に慣れていかないと』
それと、僕の性格をよく理解していることが大きい。
『あなたのせっかちな性格と、人の影響を受けやすい性格を見ているだけ。何か感覚で思いついたあとに、すぐに周りを見ずに大風呂敷を広げてみたり、飲み会で人に会ってきた後に朝になって考え方が変わっていたりするから、その前後のあなたの様子に注意しているだけだよ、大事な所がぶれないようにね。』
最近、仕事が不調でさ、と妻に話をしたとき
『大きなプロジェクトの後とか月末とか、仕事終わったらすぐに帰ってくるよね。皆んなで飲みに行こうとかないのかな?すごい不思議なんだけど。お酒飲める人が少ないとか、行く雰囲気がどうのこうのじゃなくて、あなたが皆さんを飲みに誘うんだよ、お疲れ様でした!って。皆さんを慰労したら自然と仕事の話になって、職場よりも言いたい事を言いあえたり、少しでも反省会になるんだからさ。そういうの大事だと思うけどな。』
ということで、始めた月末飲み会
ある月末、今日多分飲みに行かないと思うよといった。次の日の仕事がきつそうだったから。
『なんで飲みに行かないの?』
明日の仕事大変そうだからさ
『は?それって自分都合じゃん。月末は皆さんと慰労し合あいましょうって掲げて始めたくせに、自分が明日キツイからって飲みに行かないわけ?皆んな思うよ、結局自分の都合じゃん!って。』
誰だって自分の都合の良いほうに考えてしまう。でも妻は、育児やらなんやらきっと大変なことや、自分の体調、感情を棚上げして、何が大事な事なのかを冷静に批評、指摘できる人。
僕が妻のことをすごい人だと思って、メンターとして仰いでいる所以。
おかげで、色々なことに左右されず、進みすぎず遅れすぎず、乗りすぎず落ちすぎず、平衡を保っていられる。
妻という人。
妻は母親とソリが合わない。昔からそうらしい。
高校時代、早々に家を出てから、僕と結婚するまで1人暮らしをしていた。
妻が、産後で帰省していたとき、毎日のようにお義母さんと言い合いがひどかったらしく、しょっちゅう揉めていた。
あるとき僕は、会社が終わってから妻の実家に行ったが、夜も11時近くになろうとしていた。産後、妻の体調が優れず、少しでも子供の面倒から解放させてあげたいと思ったからだ。
でも、妻の気持ちは少し違ったみたいだった。
『あなたが私の体を心配して実家に来てくれるのは嬉しい。でも、うちのお母さんは、あの年でまだ働いているのに、朝、仕事に出かける前、私や子供の洗濯物やご飯を作ったりしてくれているの。うちのお母さんはあなたの事が好きだから、あなたがこんな遅い時間にくると、起きてご飯を出してくれたり、次の日も仕事があるのにあなたに気を遣って疲れちゃうんだよ。だから、はっきり言って迷惑。私のために夜遅くに来なくていいから。今日も終電で帰ってくれる?頼むから』
駅まで送ってもらった帰りの車の中で、お義母さんが、全く!うちの娘は何であんなにうるさいんだろ!!と入り混じった気持ちを散々吐露するので、堪えきれず妻の思いを伝えてあげたものだ(自分の体の事よりも、お義母さんの事を心配してますよ)。
僕の育てのおかんの介護で一時家で預かる事になった時、妻は「うちに来てもらおうよ!」と二つ返事で快諾してくれた。おかんが下の失態をした時も「お母さん、大丈夫、大丈夫よ!」と全ての世話を気持ちよくやってくれた。
妻が、渋谷の携帯キャリアで働いていた時、怖いお兄さんがご来店、クレームをつけてきた。店長も他の店員も我関せずの中、1人一歩も引かなかった。「いい度胸してんじゃねえか、顔よく覚えたからな」と帰っていったが、次の日再度来店、妻に向かって「姉ちゃんの事、気にいったよ」と言った(らしい)。
本当かどうかは知らないけど。
毎日、家は寸分たがわず整理整頓されている。僕はすでに用意されている身の回りの物を身につけ、仕事に出かける。僕が節約しようと家から持って出る水筒に入れる麦茶が必ず作られている。「太く長く」を標榜している僕のために、毎日毎日特に薄味に気を遣いご飯を作ってくれる。家が常に整理整頓され、きれいになっていて、洗濯や掃除が行き届いている事が、実は僕の精神衛生上、明るく健康に暮らしている事に多分に貢献してくれていたと今更ながらに気が付く。
先日の朝、「何らかの理由でプロポーズできなかったカップル大募集!!」とテレビでやっていたのを見て、妻が言った。
『これ募集してよ!』
十数年前の11月、小田急線新百合ケ丘駅のドトールで、僕は確かに妻にプロポーズをしたのだ。これからも妻は、僕がドトールでプロポーズした事を根に持ち続けていくんだろう。
新婚旅行でイタリアに行った際、スペイン広場で不良グループから25ユーロをカツアゲされた。その時の事で、いまだに夫婦間の見解に相違がある。
その時、僕は妻を守ろうと妻の手を取って逃げた。しかしながら、妻はいまだに言い続けている。
『男の人に囲まれた時、あなたは私の手を放して自分だけ逃げた。あれがあなたの本性だと思う』
僕の誕生日は母親の享年と同じ日だ。僕を産んだ日に母親は亡くなった。
あるドラマの中で、僕と同じような境遇の話があった。主人公は言った。もし僕をかばってお母さんが死んだのだったら、僕なんか生まれてこなければよかったと。
へえ、俺も自分が生き残った代わりに母親が死んだって聞かされていたけど、別に何とも思ったことないなと言ったら、妻は珍しくびっくりしていた。
『意外とあなたって繊細じゃないよね』
結婚した当時、30近くにもなって、ぬくぬくとした家を初めて出た。
整理整頓や掃除すらしたことがなかった僕は、新居への荷物の運び入れで、妻と最初の大きな衝突をしてしまう。僕はなんでこんなに怒られているのかわからず、2人で暮らすことってこんなに辛くて窮屈なのかと、しょっぱなから悲しくなった。更に新居の賃貸マンションのエアコンが壊れていたので、春先だったけど寒い年で、夜はエアコンが治るまで毛布にくるまりながら過ごすという、心身ともに寒々しくスタートした結婚生活。
10年なんて本当にあっというまだ。
妻はどんな人かというと、思えばやっぱり一番は笑顔。そう、ずっと変わらず笑顔が素敵な人でいてくれた。その妻が数年前に息子を産んでくれた。息子の満面の笑顔は妻ゆずりのもの。そして僕に似て、ずっと喋っている。
惚れた腫れたで同居し始めたときは、10年後なんて想像すらできなかったけど、妻のおかげで笑顔とおしゃべりが絶えない、ぬくぬくとした家庭を築くことができた。